ADD/ADHDの代表的な症状の一つに集中困難というのがある。
私自身は過集中や注意の切り替えに問題はあるものの、「集中できない」という症状はないと思っていた。
実際、大人になってからの私に対する周囲の評価は、「集中しすぎて他の事に気づかない人」であって、過集中や注意の切り替えの問題を指摘されることはあっても、集中力が無いと言われたことはない。
しかし、大人のADHDの症状について書かれた専門書を読んで、それが間違いであることに気づいた。
そこには集中困難の例として、周囲の話し声などの雑音を頭から締め出せない困難さが書かれていた。
それは今まさに自分が職場で直面している問題だ。
難しい内容の資料から情報を読み取る時など、静かな環境で読めば理解できる内容も、話し声のする環境下では、話し声と資料の内容が混ざってしまって、何が書いてあるのか読み取るのに苦労する。
「こんな資料の内容も理解できないなんて、私は頭が悪いのだろうか」と落ち込んだり、静かな環境で読めば理解できることに気づき、「話し声さえなければ、ちゃんと理解できるのに」とイライラしたり…。
読み取るのに何度も必死に読み返さねばならず効率が悪いのだが、はた目にはその姿が一心不乱に集中しているように見えるらしい。
だから周囲の評価は「驚異的な集中力の持ち主」となる。
しかし実のところは、周囲の音を排除しようと必死になっているだけで、目的の対象には十分に集中できていない。
思い返せば、周囲の声が邪魔になるという症状は今に始まったことではない。
小学校時代には、国語の授業で一斉に音読する時など、やはり周りの声に邪魔されて内容が理解できなかった。
しかし、今まで経験した職場が静かな環境ばかりだったので、仕事上困ることもなく、その様な症状が大人になった今も存在していることに気づかなかった。
一般向けのADHDの本には、集中困難の説明として「ちょっとした事で注意がそがれ、次々と興味が移り変わる」とか、「ひとつの遊び(または仕事)をし続けることが難しい」等と書かれていることが多いが、これも誤解しやすい原因の一つだろう。
正直、成人当事者にとってはピンとこない表現だと思う。
その多くは子供のADHDを主な対象とし、あくまで観察者目線から見た症状だ。
そこには当事者の視点が無い。
先の表現も、自分目線で書くとこうなる。
「ちょっとした事で注意がそれ、何をしていたのか(或いはしようとしていたのか)忘れる。なかなか思い出せず、別の用事を始めることがある。」
「仕事に向かい続けることは出来る。しかし話し声などがすると、自分の意思とは無関係に、脳がそれらの情報処理を始めてしまう。不必要な情報を排除することが難しく、情報処理に混乱が生じる。」
成人ADHD当事者(厳密には、私の場合はADDだけど)と一口にいっても、人によって症状の現れ方も感じ方も違うだろうから一概には言えないが、少なくとも私の感覚では上記のとおりだ。
追記(2009.04)
大人のADD症状のうち、「注意の持続」に関して新たに気づいたことを記事にしました。
―→ 『仕事の遅さと「注意の持続」に関する問題』
最近のコメント
【ADDとExcel講師】
【ADDとExcel講師】