生育暦 :小学校 (学習・運動)

アンバランスな運動能力 :小学校時代15

私はサッカー以外の球技全般が苦手だ。

特にダメなのがドッジボール。

大嫌いだった。

1度もボールをキャッチしたことがない。

どうして皆は、あんな速い球をキャッチできるのか不思議でならなかった。

投げる方も苦手で、力いっぱい投げているのに外野まで届かない。

(ちなみに、運動能力検査の「ソフトボール投げ」で最低基準に届かず、総合判定「級外」という不名誉な結果をもらったことがある。)

それなのにボールから逃げるのだけは上手くて、いつも最後まで残ってしまう。

ボールを投げることも受けることも出来ないヤツが、最後まで残ったところで意味がないのだけど、ボールをぶつけられるのは痛いので嫌だ。

集中攻撃されても延々と必死に逃げまくっていた。

逃げることしか出来ない私は、檻に閉じ込められていたぶられる小動物の気分だった。

『ボールも取れないやつが、いつまでも残ってんじゃねーよ!』

『いい加減に当たれよ!ゲームが終わらないじゃないか。』

みんなウンザリして白けムードだ。

そのうち、バカにしてボールを転がしてくる者までいる。

我ながら情けない。

全く球技が出来ないのに対し、跳び箱やマット運動・水泳などは得意だった。

小学3年の跳び箱の授業では、いきなり台上倒立前転(跳び箱の上でハンドスプリングをする技)を決めた。

その技は保育園時代に1度見たことがあるだけで、練習をした事は1度もなかった。

3年生で台上倒立前転ができるのは、もちろん私だけだ。

誰もができる簡単なことはできないくせに、難しいことが簡単にできてしまったりする。

何てアンバランス。

マット運動や跳び箱・水泳が得意ということは、基本的に粗大運動は優れているのだろう。

その一方、書字では指の動きに困難さがあり、微細運動に問題がある(―→ 『書くこと自体が困難 :小学校時代1』

また、球技全般が苦手ということから、目と手の供応動作に問題があるのかもしれない。

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いつもギリギリ :小学校時代14

私は、せっぱ詰まらないと頭のエンジンがかからない。

頭が働かない。

小学校の頃からずっとそうだ。

夏休みの宿題は、いつも最後の3日間で仕上げた。

最終日は徹夜。

ちなみに最後の3日でやるといっても、本格的に頭が働くようになるのは最終日、徹夜状態に入った時だ。

親には「どうしてもっと早くからやらないの!」と、毎回怒られていた。

そうは言われても、間際にならないと頭が働かないのだから仕方がない。

早くから始めたところで、机の前でボーっとしてしまったり、ついほか事を始めてしまったりで無駄に時間が過ぎるだけだ。

それなら、頭が働くようになるまで、遊んでいた方が時間を有意義に使えるというものだ。

私には妙な自信があった。

切羽詰った状況になりさえすれば、必ずまるで魔法にかかったように頭が働くようになる。

頭のエンジンさえかかれば、最後の1日だろうが徹夜で宿題はこなせる。

映画監督の黒澤明は、納得のいく映像を取るために「雲待ち」をしたというが、私の場合は「頭のエンジン始動待ち」だった。

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音読での問題 :小学校時代5

小学校では、やたらと音読をさせたがる。

学年が低いほどそうだ。

黙読ではなくて、きまって音読。

私はいつも疑問に思っていた。

『どうして黙読じゃなくて音読なんだろう?』

私は音読だと正しく読むことに注意が行ってしまい、文の意味が理解できない。

さらに、全員で音読なんていうのは最悪だ。

他の子の声がノイズになって、余計に内容を読み取れなくなってしまう。

だから文章の内容を理解するためには、後から黙読で読み返さなければならない。

ある授業でのこと、教科書を読んでその内容について答えなけらばならなかった。

しかし音読だったために、私は内容を読み取れていなかった。

内容を読み取ろうと大急ぎで黙読をする私に先生は言った。

「真面目に読んでないから、わからないのよ!」

私は、そんな無茶なと思った。

音読なんかで内容を読み取れるはずないじゃないか。

内容について答えさせたいのなら最初から黙読にすればいいのに、何で先生はそんなことも分からないの!?

出来るはずのないことを要求され、それが出来ないからといって「真面目にやってない」と怒られる。

私には理不尽としか思えなかった。

しかし最近になって、私はとんでもない勘違いをしていたのだと知った。

発達障害の本を読んでいると、発達障害ゆえの認知の偏りを知ると同時に、普通の人が世の中をどのように捉えているのかが分かってくる。

そして分かったのだが、どうやら普通は、音読でも黙読の時と同じように文章の意味を理解できるらしい。

脱力…。

そういうことだったのか。

自分と他の人々とでは、見えている世界・住んでいる世界が違うのだ。

私は自分が捉えている世界を当然のものとして、何十年も勘違いしたまま生きてきた。

まったく、お笑いぐさだ。なんて滑稽な…!

しかも、このケースだけじゃない。

発達障害の本を読んでいると、自分が当然のこととして捉えている世界と、世の多数派が当然のこととして捉えている世界の、あまりの違いに気付かされ愕然とすることが多い。

『えーっ!? 普通の人は、こんなことが気に障るの!?』

『あの時、あの人が言いたかったのは、こういう事だったのかもしれない…』

今まで、わけの分からない理由で怒られて困ってしまうことが多かったのだが、自分の体験に似た事例を本で読むことで、それがどういう意味だったのか少しだけ分かった気がした。

…結局私は、本当のことは何も分かってはいなかった。

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漢字がダメなら読解で :小学校時代4

私は漢字が苦手だ。

小学校時代には、テストで間違えた漢字1問につき、ノート1ページの漢字練習をするという宿題をよくもらっていた。

ほとんど覚えられなかったから、宿題の量も半端じゃない。

書いているうちに手が痛くなり、手のひらに爪が食い込んで内出血が起こる。

しかし、そうまでして書いているのに、まったく覚えられるという手応えがない。

覚えてもすぐに忘れてしまう。

努力のわりには、まったくと言っていいほど成果が上がらなかった。

小学3年生の私は、返却された答案を見ながら考えた。

『いくらやっても覚えられないのに、漢字練習をする意味あるのかな…?』

『どうせやっても覚えられないのなら、その力を別のことに向けた方がいいんじゃないかな?』

国語テストの配点は、漢字が1問1点。

全部出来たとしても10点にしかならない。

しかし、読解問題なら1問20点。

私は漢字問題をあきらめて、その分、読解問題に力を入れることにした。

読解問題も漢字同様に苦手だったが、漢字と違って努力しだいでは点数アップを見込めそうな気がした。

漢字をあきらめたことが功を奏したのかどうかは分からないが、中学生になる頃には読解力が飛躍的に伸び、国語だけでなく他の教科の成績も良くなった。

高校の全国模試でも、漢字問題は1つも出来ないのに読解力は全国順位5位。

恐ろしくアンバランスだが、当初のもくろみ通り、配点の高い読解問題が漢字の出来なさをカバーしていた。

漢字問題をあきらめるなどというやり方が、正攻法でないのは分かっている。

しかし、あのまま成果の上がらない学習を続ければ、失敗体験ばかりが増え、やがては他の教科に対するヤル気や成績にも悪影響を及ぼしただろう。

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漢字学習の問題 :小学校時代3

小学校時代、最も苦手としたのが漢字の書き取りだった。

毎日のように出る宿題では、先生の指示するやり方で決められた量の漢字を書かなけばならない。

先生方は、とにかく沢山書けば覚えられると信じて疑わないらしいが、私には大量に文字を書いて覚えるという方法が向いていなかった。

理由は2つ。

1.書字ストレスによる集中力低下

筆圧の強い私は、字を書くとすぐに手が疲れて痛くなりイライラしてしまう。

書字によって生じる手の痛みとストレスのせいで全く集中できず、漢字を覚えられる状態にない。

そしてそれは、字を書けば書くほど酷くなる。

悪いことに、漢字テストで間違えると漢字練習の宿題を増やされるので、余計にイライラがつのって集中できず、書いても書いても覚えられないという悪循環にはまっていった。

たいへんな思いをして書いているにもかかわらず、いくら書いても覚えられないので、無力感だけが残った。

2.記憶スタイルの違い

先生や親には「書かなければ覚えられないのだから、字を眺めていてもしょうがない」とよく言われたが、私の場合は集中して見なければ覚えられない。

私にとって「覚える」ために最も重要なのは「じっくりと見る」ことであって、「書く」のは記憶の確認と修正のための補助的な作業にすぎない。

逆に、「書きながら同時に記憶する」ことの方が難しい。

字を書きながらだと、書くことに注意がそれてしまい記憶することに集中できなくなる。

書くことと記憶すること、2つ同時に注意を払えない。

だから、「見て記憶、書いて確認」というように、記憶する作業と書く作業は分けた方が覚えやすい。

書くことに重点が置かれた一般的な記憶方法では、じっくりと見て覚える作業がないため、私のようなタイプの人間には覚えにくく記憶効率が悪い。

しかし、この事はいくら言っても理解されない。

私は自分にあった方法で漢字を覚えたかったのだが、先生の指示する量を書かなければ、宿題をやったとは見なされないので、宿題をこなすだけで手一杯だった。

宿題の漢字を書くことに気力も時間も使い果たしてしまい、じっくり見て記憶する余裕は残ってはいなかった。

    ―→関連記事「書かずに見て覚える漢字学習法」

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ノートが取れない :小学校時代2

私はノートを取るのが遅い。

特に小学校時代は、授業時間内に書き終わることの方が珍しかった。

字を書くスピードが遅いのに加え、黒板の文章をセンテンスごとに覚えて写すということが難しかったのだと思う。

センテンスで覚えて写そうとしても、書くスピードが遅いせいか、書いているうちに忘れてしまう。

しかも漢字を覚えていないので、文中に漢字があると、1画ずつ確認しないと書けない。

授業時間内に書き終わらないので、休憩時間も黒板を写しているのだけど、結局時間切れで消されてしまっていた。

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書くこと自体が困難 :小学校時代1

小学校時代の私は筆圧が非常に強く、字を書くこと自体に大変なストレスを感じていた。

字を間違えて、消そうとしてもちっとも消えない。

ノートを取る時も漢字練習をする時も、すぐに手が疲れて痛くなってしまう。

大量に漢字練習の宿題が出た時などは最悪で、手のひらに爪が食い込んで内出血を起こすことさえあった。

本当にうんざりだった。

母は、鉛筆の握り方が悪いのだと矯正指導を試みたが、正しい持ち方で書くと、まるで左手で書いたかのようにヨロヨロとした字になってしまい、とても見れたものではなかった。

正しい持ち方だと、指に力が入らず鉛筆をしっかりと固定できないのだ。

指もうまく動かず、まともに鉛筆を動かせないし、たった1文字書くのに何秒もかかってしまう。

最近になって知ったのだが、この様な症状は運動スキルの発達障害に関係があり、協調運動障害と呼ぶらしい。(LDやADHDの子どもに合併することが多いそうだ。)

しかし、保育園入園前から三点倒立が出来たり、4歳になったばかりなのに補助輪なしの自転車に乗れたりと、ある面での運動能力は優れていたので、母は手先の運動発達に問題があるとは思いもしなかったようだ。

指が動かないのだといくら訴えても、母は「言い訳ばかりして、やろうとしないから出来ないの」だと怒るばかりだった。

しかし、どう怒られても急に手先が器用になるはずがない。

筆圧が強くて書くのも遅く字も汚いが、それでも自分流の持ち方の方がまだましだったので、持ち方を直すわけにはいかなかった。

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